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写真日記


ニサーからの手紙

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私は2005年から2006年にかけて、ボランティアスタッフとして働いていた。縁あってまたチェンマイで生活をし始め、子ども達の顔を毎日は見られないものの、すぐに会いに行ける距離にいる。

先日、バーンロムサイに顔を出した時、ニサーが恥ずかしそうに手紙をくれた。手紙の上の部分には「ニサーはメーさきをとても愛しています」とタイ語で書かれていて、女の子の絵が描いてあった。

その手紙を見て、なんだかとても感慨深かった。私がバーンロムサイで働いていた頃、ニサーはまだ3歳。おしゃべりもまだ上手ではなかった。そんな小さなニサーだったが、私が働いている間に二度も入院を経験した。縫うほどの大きなケガをしてしまい、私が車を運転して病院へ急いで向かったこともあった。肌が弱くてよく皮膚がただれてしまい、とてもしみる消毒液での処置にも泣きながら小さな体で耐えていた。皮膚のただれのために、かなりのベリーショートに髪を切ったこともあった。

そんなニサーの不調な時期が、私がバーンロムサイで働いていた時期と重なっているため、私がニサーと触れ合う機会は多かった。熱を出して寝込んでいる時にベッドに付き添ってあげたり、お見舞いにいったり、一緒に遊んだり・・・。ニサーはまだ学校に行く年齢でもなかったので、日中も一緒にいることが多く、触れ合う時間も多かった。たくさんたくさん抱きしめて、私の拙いタイ語で伝えられるだけのことを伝えてきた。それが二サーに届いていたことが、手紙から感じられてうれしかった。

ニサーもいつの間にかタイ文字を書いて手紙を書けるようになり、今では肌もきれいに治った。髪もきれいに長く伸びている。そして今月からは小学1年生。私が抱っこする腕の中ですやすや眠ったニサーが・・・と、うれしい反面、なんだか寂しくもある。私の中では、ニサーはいつまでも小さいニサーでいるのだけれど。彼女はすくすくとかわいい女の子に成長している。

バーンロムサイから離れて暮すようになった今でも、子ども達の成長は本当に楽しみ。その気持ちは本当に「メー(お母さん)」なのだ。きっとそれは日本にいるポー(お父さん)、メー(お母さん)と呼ばれるボランティアOBたちも同じに違いないし、子ども達も肌で感じていることだと思う。

小泉 幸季|2009/05/17 (日)

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