写真日記
ホテルでの朝食、、、
ビザの更新手続きの為に隣国マレーシアのクアラルンプールに今月初めに行ってきました。マレーシアの祭日やら格安チケットの変更不可とかの理由で結局クアラルンプールのホテルに4泊してきました。この1,2年国内外のホテルや旅館に泊まる回数が多く、そこで感じたのは、、、
人は誰でもある程度の年齢になると「昔の方が良かった」と思うのでしょうか?私もその仲間入りをしたようでいろいろな状況で「昔の方が良かったなぁ」「昔はみんなもっと丁寧に生きていたのになぁ」と思ってしまいます。ホテルもそんな中の一つ。
この20年ほど、よほどの高級ホテルに泊まらない限りホテルの朝食は「バイキング」。保温されたベーコンやソーセージ、スクランブルエッグや目玉焼き、生ぬるくなったサラダや果物、カップを栓に押し付け美味しくないコーヒーやティーバッグにお湯を注ぐ、、、
日本でも高級旅館に泊まらない限り朝食は自分の部屋ではなく旅館の広間に行き、品数ばかり多い、冷たくなった卵焼きやら焼き魚を食することとなります。
子どもの頃泊まった日本の旅館はどこの旅館でも朝食は部屋まで運ばれて来ました。またヨーロッパのどこのホテルでも朝食は「ジュースorフルーツ」に始まり、次は「シリアルorポリッジ」、卵は目玉焼き?オムレツ?スクランブル?付け合わせは何になさいますか?といった具合に一品一品好きなものを選びオーダーをしたものです。くるりと丸められた小さなバターを入れたガラスの器、、何種類ものジャムはそれぞれ美しい器に入れられ、銀のポットに入った美味しコーヒーや紅茶をゆっくり楽しみながら時間をかけ朝食をとることが出来ましたしホテルでの楽しみの一つでもありました。まぁフランスの朝食はどこでもクロワッサン+ジャム+カフェオレでしたし、ドイツは卵料理は半熟卵のみ、それにソーセージのスライスが何枚かつき、焼き立てのドイツロールパンにバターと数種類のジャムと必ずはちみつが付いてきました。
いつの頃からこのどこの国でも「ホテルの朝食はバイキング」が当たり前になってしまったのでしょう、、、多分これもジャンボジェットで人々が動き回り、「ホテル」が単なる「宿泊施設」に様変わりをしてしまったのでしょうか?
人手不足、より効率よく、、、
少なくとも1960年代初め、私がヨーロッパの都市を旅した時、朝食は真っ白なテーブルクロスに厚手のダマスク織のナプキン、銀のカトラリー、ウエイターが銀の丸い蓋をサッと外し出してくれ卵料理は出来たてでした、、、、、優雅に朝食を食べた記憶があります。そして夜寝る前、ドアの外に汚れた靴を出しておくと翌朝綺麗に磨き上げられていました、洗濯物はありますかとメイドさんが聞きに来て、夕方には綺麗にたたまれた洗濯物が紙に包まれたりバスケットに入れられ戻されてきました。もちろん毎朝出かける前にベッドに小銭を置いたりと、何かにつけてチップをわたすと言うルールはありましたが。
今回泊まったクアラルンプールのホテルも朝食はバイキング、銀の四角い大きな器に入った炒飯等の何種類かのマレーシア料理、歩く歩道のようにぐるぐる回り続けているトースターに自分でパンを入れ、プラスチックケースに入った一人前用のバターやジャムを取り、冷たく硬くなった目玉焼きやオムレツ、生暖かくなってしまったカットフルーツ、お客の前で徳用パックのジュースがジャーに足され、ティーバッグに自分でお湯を注ぎ、砂糖も小袋入り、食べ終わったお皿からずんずん片づけられ、混んでいるからさっさと食べろ!といった感じで落ち着かず、おまけに多くの客はバイキングだからなのか料理を取り過ぎ、食べ残したまま席を立って行く。残念ながら洋の東西を問わずホテル朝食事情は大きく変わってしまいました。
ホテルの朝食一つとっても「昔は良かった、、、」です。これからもますます「昔は良かった」が増えて行くのでしょう、、、、、、
そう言えば東京駅の赤帽さんはいつ消えてしまったのでしょう、、白いジャケットにニッカボッカを穿き、赤いポンポンの付いたニーソックスに赤い帽子、肩にトランクをベルトで前後に振り分け、列車の席まで荷物を届けてくれました。今ではスーツケースに車輪がつき、エスカレーター、エレベーターが完備、、あのカッコよかった赤帽さんたちは消えてしまいましたね。
朝の仕事部屋 夕方のたっちゃん
名取 美和|2009/09/10 (木)
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