写真日記
10年前の今頃、、
10年前の今頃、子どもたちを迎えるための家を建設中でした。
今は縫製場となっているこの建物の事です。
建設直後の建物 現在の縫製場
チェンマイの孤児院やHIV感染孤児施設を見に行き、それを参考に、しかしもう少し明るく楽しく使いやすい建物を建てたいと、タイ人の建築家に相談しながら進めました。子どもたちの寝室、食堂兼プレイルーム、お風呂場とトイレ、夜勤スタッフのための部屋兼処置室、そして建物をぐるりと囲む回廊、屋根裏にはストックスペースを持った平屋建ての建物です。
勿論タイで家を建てるなど初めての事。タイ語は全く分からず、通訳も当初はおらず、絵を描き、身振り手振りで話を進めました。地震がない国で家を建てるのはある意味とても簡単。何本かの鉄筋コンクリートの柱を立て、その間にレンガを積み上げて行くだけです。そしてそこで働く人たちは現場に家族とともに住み込み、日の出から日の入りまで、自炊をしながら働いていました。全員裸足かゴム草履。大丈夫かしらチャンと建つのかしら、、、約束通りの日程で完成するのかしら、、、心配は山ほどありましたが、最後は人海作戦と言った感じで約束の期日に仕上げてくれました。
そして1999年11月2日10人の子どもがやって来て「バーンロムサイ」が始まったのです。そしてその建物は10年後の今もしっかりと建っています。
その後子どもたちの数が増えこの建物には収容しきれなくなりました。次の建物を建てる時からは今いる大工のチャイさんチームに仕事をお願いするようになり、もう一棟と建物の数は増え、プールを作り、ゲストハウスを建てる頃には大工さんチームとは阿吽の呼吸で家を建てることが出来るようにまでになりました。私が最初に覚えたタイ語はセメント、柱、天井、レンガ、窓、タイルと言った単語と「早くして!」「いつ出来あがるの?」「それじゃダメ!」と言ったセンテンスばかりでした。
子どもたちが来てから覚えた単語は悲しい事に、熱、下痢、嘔吐、痛い、注射や病院、、、、、そして「食べなさい」「よく寝られた?」「歯を磨きなさい」「熱は何度?」と言ったセンテンスばかり。
あれから10年、最初に建てた建物は今では運営費を賄うために始めた物作りの為の縫製場となりました。30人の子どもたちも男女それぞれの棟に暮らし、大きな台所と食堂や図書館もできました。
時代は20世紀から21世紀となりましたが相変わらず世界のあちらこちらで戦争や紛争が絶えません。
この間に世界では「天然痘」が撲滅されました。
アフリカでは「マラリア撲滅運動」が確実に成果を上げつつあります。
しかし減少した結核がまた増えてきているとも聞きました。
そして「HIV/AIDS」に人間が打ち勝つにはまだ時間がかかりそうです。
あの日バーンロムサイに来た10人の子どものうちノン、ウット、カオホム、オイ、アイ、ロートの6人が亡くなりました。
ノン ウット カオホム
オイ アイ ロート
スラチャイ、ゲン、ミュウ、タンの4人は元気に暮らしています。
まさに「光陰矢のごとし」!
名取 美和|2009/09/20 (日)
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