写真日記
2007年9月27日
あの日の事は忘れません。2007年9月27日タイ時間夕方5時の「NHKニュース」で知った長井健司さんの死。その後何回も何回もいろいろな国のニュースに流れた長井さんが撃たれた瞬間の映像。ミャンマーの軍事政権に対する僧侶や市民のデモを撮影中、兵士に銃撃され50歳で亡くなってしまいました。
あの日から7年ほど前の2000年10月、バーンロムサイの子どもたちとチャーム海岸に滞在していたある日の朝、長井さんから私の携帯に電話がありました。「はじめましてAPF通信の長井健司と申します。今バンコクにいるのですが、ぜひ子どもたちの取材をさせていただけないでしょうか?」その日の昼過ぎ、バンコクから南に下ったチャームの海岸に長井さんが来て一年にわたるバーンロムサイの取材がはじまりました。
2001年2月ファーン県の実家に戻りそこで亡くなった双子の妹アイちゃんのお葬式に、アイちゃんにプレゼントしようと買ってあったワンピースを持ってバンコクから参列してくれた長井さん。「もっと早く来ればよかった、、、プレゼント、、遅すぎましたね」と泣いていた長井さん。バイクに乗ってバーンロムサイにふらりと遊びにくれたり、子どもたちの運動会や、夏、葉山の海岸ブルームーンに取材に来てくれました。
バーンロムサイに何回も足を運んで撮影の後「急増するエイズ孤児 タイ・75000人の子供たち」がNHK「ETV 2001」で放映されました。
私が長井さんに最後にお目にかかったのは2006年12月のアクシスギャラリーでの第6回アンダーザツリー展の会場でした。
あの日ヤンゴンで最後まで手にしていたビデオカメラの返却を求めすでに13万人の署名が集まりましたが未だ返却されず。ミャンマーの状況も大きな変化はありません。
あれからまた何人のジャーナリストや報道カメラマンが世界各地での取材中に亡くなっているのでしょう。なんであれ彼らがいないと私たちは世界で何が起きているのかを知ることが出来ないのです。知ることの大切さ、知らなくては何も始められない、それを知らしめてくれる彼らの存在は世界にとってとても大切なのです!
長井さんが亡くなって2年の月日が経ちました。また会いたい人の一人です。
名取 美和|2009/09/30 (水)
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