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写真日記


どこかで、、

人はどこかで生まれ、どこかで暮らし、どこかで死んでゆく中、ある程度自由に選べるのがどこで暮らすか、、、


先日チェンマイ市内に100年ほど前にアメリカ人の宣教師が設立したハンセン氏病患者の施設を見学しに行きました。一方をピン川にそして残り三方をぐるりと運河に囲まれた島のような50万平米程の広大な敷地にいくつもの建物が点在しています。

現在そこで生活をしているハンセン氏病の患者さんたちの多くは子どもの時にこの施設に収容され、ここで学校に行き、ここで働き、ここで今90歳を迎えようとしているお年寄りばかりです。10人ほどの患者さんたちが古色蒼然とした植民地スタイルの建物に入院していました。一昔までは多くの入院患者がいたのですが、現在は広々とした病室に2,3人で暮らしています。緑色の窓枠、時代と共にすべすべになった床、その床から1.5メーター程はグルリと真っ白なタイルが貼られ、高い天井にはファンが取り付けられ、青い蚊帳がベットの上に吊るされ、その脇にはそれぞれの私物が少々置いてありました。丁度お昼時にお邪魔をしてしまった様子、一人で車いすの上で食事をしている人、介護師さんに食べさせてもらっている人、床に座りモクモクと大きなアルミのお皿で食事をしている人たちが目に入りました。

子どもの時にこの施設に収容され、病気の進行とともに指先、手首、足首、そして人によってはひざ下までも失い、生まれ育った地、そして肉親と別れ今に至った、どこで暮らすかの選択肢もないまま80年近くこの場所を出る事なく暮らしてきた人たちです。


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施設内の義足工場に置いてあって昔の義足


大昔からついこの間までどこの国でも差別され続けてきた「ハンセン氏病患者」。
この病気は感染病ではありますが感染力は非常に弱く、また現在の医学を持ってすれば治療も可能ですが一昔までは多くの国で患者は隔離されていました。現在でも東南アジアを中心に20万人程の患者がまだいるようですし、タイでも年間500人程の人が「ハンセン氏病」を発症するようですが、治療が可能なのでこの施設に新しい患者が入所する事は無くなったと所長さんが話していました。

「ハンセン氏病」の患者数が減って来た今、この施設では老人の為のケアハウスとホスピスを新たに昨年開設し、現在9人の方が入所しています。末期がんのアメリカ人男性、アルツハイマーのタイ人男性、そしてもう一人アルツハイマーの日本人女性にもお目にかかりました。ここで最後の時を過ごそうと自分の意思で来た人、家族ではもう面倒を見る事が出来ないのでここに収容された人、、色々な状況下でここに暮らしているのでしょう。バス+トイレ付きの個室、3食+24時間介護付きで月に2万4千バーツ、約6万円。「バンコクの3分の1の料金」だそうです。施設内には普通病院やリハビリセンターも併設されており施設外からの患者も受け入れています。広い敷地内では養豚養魚菜園や薬草園もあり、手工芸品の販売店、色々な作業所、ハンセン氏病の博物館、職員宿舎、教会、コミュニティースペース、そしてその昔ハンセン氏病の患者が暮らしていた小さな小屋が現在住む人もなく点在しています。

どこで暮らすかどこで死ぬか選ぶ事が出来なかった人たち。

この施設の見学後、将来自分の事を考えてもバーンロムサイに心地よい必要な時以外一人にしておいてくれる、そして美味しい食堂と、図書館のある「最後の場所」をやはり作りたくなりました。
最後は心地よい場所で痛くなく、、、暮らし、、そして死にたいものです。

名取 美和|2010/09/10 (金)

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