写真日記
ホームステイ2010
2009年4月。年中、年長の子どもたちがチェンライ県にある村へホームステイに行きました。HIV POSITIVEということをすべて理解した上で、タイの普通の村の家庭が受け入れてくれることはとても嬉しく、画期的なことでした。自然豊かな村に住む人たちは、心豊かな人たちなのです。そこから話しはトントン拍子に進み、昨年5月から2組の家族がポンとゴイを受け入れてくださり、二人はチェンライの学校へ転校し、現在に至っています。そして先日、10月19日から22日まで、今度は年少の子どもたちも含めて30名全員が、村の11の家族にお世話になりました。
到着してから、子どもたちがそれぞれの家族の元に分かれます。家の掃除をしたり、家業を手伝ったり、食事の支度を一緒にしたり、夜テレビを観たり・・・。あたりまえの少人数での日常の生活、、、普段の団体生活では味わえないものです。
到着翌日。
村の中に肥料作りの名人が居て、彼の手伝いを皆ですることになりました。牛フンや落ち葉などで作る肥料はもちろんケミカルなものは一切なし。休みなしの重労働ではありますが、収入もかなり良いと聞きました。その方は小学校4年生までしか学校へ行けなかったのですが、独学で勉強し、良い肥料を作るための機械は何でも自分で考えて作ってしまうそうです。バーンロムサイの大工の棟梁チャイさんも家庭の事情で小学校4年生までしか(昔は義務教育が小学校4年生までだった)出ていませんが、読み書きはもちろん独学で覚え、計算も早いし、記憶力も良いし、何でも作れるし、「学歴なんて関係ない!」と彼らをみていて思うのです。手に職です!!
3日目は、今回もお世話になった村にあるお寺の大掃除。村の子どもも一緒に庭を掃いたり、仏像を拭いたり・・。終わってからお坊さんのお話しを聞き、健康で幸せにと一人一人にサイシーンという赤い紐をくださいました。
午後、かつて村にあった小学校の校庭で男女に分かれてスポーツ大会。村の子ども対バーンロムサイで男子はサッカー、女子はポートボール。終わったらもうすっかり暗くなっていました。
4日目、最後の日の朝は早起きして、托鉢する若いお坊さんに食糧やお花などのお布施をしました。そしていよいよ3日間一緒に暮らした家族とのお別れ。オンとビーのお母さんは、号泣してしまったようです。アーパイのお母さんは、丁度アーパイと同じ歳の子どもを亡くしているので、とても可愛がってくださったとのこと。どこの家も我が子のように接してくださり、もちろん家の手伝いもしっかりさせ、子どもたちにとって学期休みの楽しい思い出となり、また貴重な経験を短い期間にたくさんさせて頂きました。
左:ゴイの今のお母さんとスーワイ、ミウ
右:アーパイとテンモーがお世話になったお母さん
左:メイレックとペンの朝食
右:お別れのときに号泣したビーとオンのお母さん
村を出てから、ミャンマーとの国境の町メーサイにある「バーン ナナ」という子どもたちの施設に立ち寄りました。そこはミャンマー国境で行き場を失った子、親とはぐれてしまった子、捨てられた子などを預かるシェルターです。多い時には100人ほど収容されているようで、タイ語を話すことのできないミャンマーの子どもも多いとのこと。まだ開設してから3年というタイの財団法人なので、敷地は広いのですが、あまり清潔とはいえない環境とのこと。代表のタイ人の方のお話を伺った後、施設に居る子どもたちと写真を撮り、お昼ごはんのタンブン(寄付)をして帰路につきました。自分たちが清潔で恵まれた環境にあることを子どもたちは感じたと思うと、タイ人スタッフたちは言っていました。
この国境の町、特にミャンマー側には物乞いの子どもが多く、スタッフが聞いた話ではその収入が良い時には一人1日300バーツ位になるため、親は子どもたちを物乞いに行かせ、その稼ぎで生活しているそうです。3人の子どもが居れば1日900バーツ(2700円位)。これはタイではかなりの収入です。楽して稼ぐことを覚えた人たちは売春もそうですが、その中からなかなか抜け出せない、そして稼いだお金で薬を買い、中毒になるというケースもかなり多いとのこと。島国日本と違い大陸で地続きに国境が接している国が抱える問題の多さを感じています。
麻生 賀津子|2010/10/28 (木)
前の写真日記:鎌倉店、秋冬仕様に衣替えしました♪
次の写真日記:バンコク出張