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スパラット先生

先週の土曜日、今年も子どもたちの主治医スパラット先生が看護士さんやボランティアの人たちと一緒にホームへ来てくださいました。200人以上のHIV感染児を受け持ち、さらに国内外の会議に出席したりとものすごく忙しい先生ですが、こうして年に1度でも来てくださり、病院での診察とは違うコミュニケーションの場を作ってくださることは、とても嬉しいことです。


最初は気持ちをリラックスさせるためにと、タイで良くあるゲームで楽しみます。普通15歳以上の子どもは、こういうゲーム、しら~っとして仕方なくやったりしそうなものですが(私はそうだったかも)うちの年長の子どもたちは心底楽しそうで、まだまだカワイイ無垢な心を持っている子どもたちだと、なんだかホッとします。
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その後小さい子どもたちは下のプレイルームに、中学生以上の子どもたち全員は2階の食堂へと移動。例年と違うのは、子どもたちのCD4(免疫値)とHIVウィルス値の9年前からのデータを病院から持って来てくださり、それを各自に配り、自分の数値がどう変化し、今どういう状態なのか、それがどういう意味をもっているのかを知ることの大切さを実感させることでした。

まずは、2階の年中、年長の子どもたち。おそらく初めて手にしたであろう自分の検査結果の経緯をどう見たら良いのか、戸惑っていました。検査データには他にも肝臓やコレステロールや腎臓など、細かい検査データの数字がたくさん記載されているからです。保母やスタッフたちが一緒になって、「ここの数値がCD4、ここの数値がHIVウィルス値」と教えてあげながら、自分の数値を書きだします。
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データの見方を説明するスパラット先生


抗HIV剤を飲んでいれば、HIVウィルスは抑えられエイズを発症することはありません。なので現在の子どもたちのHIVウィルス値は40や50というとても低い数値。
しかし、かつての子どもたちの数値をあらためて見てみると、ペットは750,000、タンやゲンも20,000を越えていました。

CD4の値にいたっては、通常の人が1000以上なのに対し、2002年10月のミルクは0(ゼロ)です。ボーイが41、プロイは18・・、もし薬がなかったら死んでしまっていた数値です。ミルクは服用後、2004年12月に1000を超える数値まで一時快復しました。

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2004年11月のペット。こんなにふっくらしているけれど、体調はとても悪かった時期です

2002年10月に抗HIV剤の服用を決めるまで、名取はじめ当時のスタッフたちが副作用や一生飲み続けなければならない大変さを思って揺れ動いた気持ち、またそれ以降子どもたちがこれだけ元気になってゆく中で、亡くなっていった10名の子どもたちに「あの時この薬があったら今・・」と思う悲しさや辛さは、その当時まだバーンロムサイに居なかった私には上手く語ることは出来ません。でも、こうして改めて検査の数値の変化を見ていると、副作用や耐性の問題はまだまだ続きますが、今このように元気でここに彼らが居ることが、本当に嬉しいです。


唯一薬を飲んでいないテンモーはやはり現在HIVウィルス値が多く、20000を越えています。でもスパラット先生はまだ自分の力だけで頑張れると言っていました。昨年の交通事故で生死の境をさまよった彼女が、今また学校に通えるようになっている姿を見ると、テンモーの強さを感じます。いずれ薬を飲まなくてはならない時期が来たとしても、「私が居るから大丈夫」と、先生は優しくテンモーに語っていました。suparat-tengnoo.jpg

テンモーとスパラット先生


CD4の数値もだいたい400~500、多い子どもで700。この値が200を切るとHIV陽性で薬をまだ服用していない人は、飲み始める基準となり、また飲んでいる人も薬の耐性を疑わなくてはなりません。これはHIVウィルス値にも言えることで、この数値が増えてしまうと、何らかの問題が出ているものと考えられます。幸い現在薬の耐性を心配する数値の子どもは一人も居ません。


さて小さな子どもたちの様子を覗いてみると、皆自分の検査表を手に持ち、目がテンになっていました。全然何の事なのか分かりません!でも看護士さんやスタッフたちから自分の数値を教えてもらい、それを分かった人は自分の名前の所に絵を描いて数字を記入していました。理解するにはもう少し時間がかかるとは思いますが、小さい頃から自分の体の事を知る訓練は今後にとても役にたつはずです。apai-takaten.jpg

自分のデータの説明を受けるアーパイ。まだ理解できません


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なんだかわからないけれど、とにかく数字を書くペン


今回、年長、年中の子どもたちに性の話し、コンドームを必ず付ける、付けてもらうなど昨年同様分かりやすく話しをしてくださり、アームがセックスのこと、子どもを産めるのかなど先生に質問していたそうですが、それでもなかなか大勢の前で個人的な事を話すのは難しく、スパラット先生は、別の機会をもうけて子どもたちの個々の話しを聞いてゆきましょうと言ってくださいました。

9年前からの子どもたちの検査データや抗HIV剤服用前の数値、HIV/AIDS関連の冊子に目を通しながら、彼らが生きていること、こうして毎日学校へ通えること、サッカーが出来ること、絵を描いて、土をこね、泣いて笑って喧嘩して・・・、それは大勢の皆さまに支えて頂いているからだということを、あらためて感じています。

そして一生薬を飲み続けて行かなければならない子どもたちを、これからも長い目で見守ってください。よろしくお願いします。

麻生 賀津子|2011/06/25 (土)

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