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写真日記


1962年・あの頃の旅

1962年8月、最後となってしまった父との旅はミュンヘン駅から始まりました。

今でも多くのヨーロッパの主要都市の中央駅はそこが終着駅、行き止まりです。東京駅も大阪駅も汽車は駅舎を通り抜けてゆきますが、終着駅はそこで行き止まりですから頭から入って来た列車はお尻から出てゆくことになります。駅には改札口もなく、プラットホームは線路とほぼ同じ低さ、汽車に乗り込むには3段ほどのステップを上らなくてはなりませんし、扉は自分で開け閉めをしなくてはならず体の小さな私にとって扉のノブの位置は高く扉も立派で重かった記憶があります。そして駅舎はいつも何となく薄暗かった。

駅には必ず「ポーター」がいました。日本の主要駅にも赤い帽子に黒いニッカボッカを穿き、白いジャケットを着た「赤帽さん」がいてくれましたが、ドイツの「ポーター」はグッと地味、濃い緑色の帽子に灰色のジャケットを着ていたように記憶しています。日本の「赤帽さん」は荷物を肩の前と後ろに振り分けて担いでいましたが、ドイツでは手押し車のようなもので荷物を運んでいました。しかし車の付いたスーツケースの出現で「ポーター」の姿は洋の東西を問わず消えてしまいました。

またその頃列車の客室は短距離も長距離も個室型のコンパートメント、1970年代になると通路を挟んで左右2列の縦並び席が主流となり、手動ドアも自動ドアにとって代わりました。長距離列車ではその日のメニューをもったウエイターがコンパートメントに出向きオーダーを取りに来てくれていた食堂車もほとんど姿を消してしまいました。コンパートメントは禁煙室:喫煙室と分かれていましたが、日本で禁煙車両が登場するのはだいぶ先、その頃はまだ省線(今の山手線)や都電、そして映画館でも所構わずタバコが吸えました。

ヨーロッパの中央駅の駅舎はほぼどこもドーム型(蒲鉾型)、ミュンヘン中央駅も大きなドーム型で駅構内には立ち食いソーセージ屋、ビールの立ち飲みカウンター、レストラン、雑誌販売店等の他に一日中短編映画とニュースを上映している「映画館」もありました。ローマの終着駅には嬉しい事に小さな「水族館」もあり駅での時間つぶしには最高でしたが、その後しばらくしてから駅で時間を持て余す人が少なくなったのか、映画館も水族館も残念ながらなくなってしまいました。

汽車は何のアナウンスもなく時間になると静かに出発し、到着を告げる車内アナウンスもなく駅に着くとプラットホームから駅名と行き先を告げるアナウンスが聞こえてくるのみ、日本のように「忘れ物のないように」「老人に席を譲ってください」「雨が降っているので滑りやすいので、、」と言った車内放送はもちろんの事、乗り換えのアナウンスもありませんでした。

私たちはミュンヘン中央駅を出発、ドイツを南から北に上り途中3泊ほどしながら北海に面した港町ハンブルグに向かいました。


航空券も今のようにパソコンからダウンロードできるEチケットなるものもなく、いくつもの都市を回るその航空券は有に3センチくらいの厚さがありました。行き先と日時を決めてから実際に航空券を手にするまでに何回も航空会社の事務所に通った記憶があります。そもそもあの頃どうやって国際線の予約の確認を各国間でしていたのでしょう?テレックスもファックスもダイヤル直通の国際電話もインターネットもないあの時代、空席情報はどのように管理されていたのでしょうか。

東西ベルリンの壁が出来て2年目の当時、東ドイツを汽車で通り抜けることが出来ずハンブルグからベルリンへは飛行機で飛びました。当時も今も搭乗の際に許される荷物の重さは20キロ。そしてスーツケースの当時の呼び名は「トランク」、キャンバス地で出来たトランクが飛行機用にはベスト、私たちもキャンバス地に豚皮の縁取りのあるドイツ製の軽量トランクの大を父が、そして小を私が持ち旅に出ました。あのサムソナイトのスーツケースがポピュラーになったのはジャンボジェットの導入された70年代中頃、そして車付きスーツケースが出現したのはそれから10年後の1980年代中ごろでしょうか、、これは旅する者にとっては画期的な事でした!

ヨーロッパの都市間を飛ぶのは左右に2席ずつ70~80人乗りの比較的小型のプロペラ機が主流、機内食の食器は陶器、カトラリーも銀とは言いませんが銀に見えるナイフやフォーク、これらもジャンボジェットの登場と共に総プラスチック化されてしまいました。今では建物から蛇腹のように伸びた通路を通り直接飛行機に乗り下りしますが当時は建物から飛行機までは(ロンドン・パリと言った大きな飛行場ではバスに乗ることもありましたが)歩いて行きタラップを上り搭乗するのが当たり前でした。ですから目的地に着きタラップに出るとその土地の風が吹き、その国の匂いがし「異国に着いた!」と実感しました。余程小さな飛行場以外現在では機内から直接飛行場の中に入ってしまう為、なんとなく異国に到着した実感が希薄ですし、なんとなくどこの飛行場の建物も似たり寄ったり、、、つまりません。

今月初め久しぶりに小型のプロペラ機でチェンマイからラオスのルアンプラパーンに飛びました。乗客数80人程の小さな飛行機、タラップを降り小さな空港の建物まで雨の中歩いてゆきました。何とも懐かしい気がしました。

  

「2011年8月 ラオス・ルアンプラパーンで」
  

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名取 美和|2011/08/13 (土)

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