新年あけましておめでとうございます
初回2000年元旦から数えて17回目の新年のご挨拶となります。
多くの皆さまからのご支援ご協力があったからこそ、バーンロムサイの活動を今日まで継続する事が出来ました。
また昨年一年間子どもたちが元気で過ごせましたことに心よりの感謝を申し上げます。
ネン、ダオ、ペンから
「今年もありがとうございました!」
開園当時、ここナンプレー村の人たちの足は自転車かバイク、家族全員で一台のバイクに乗っている姿をよく目に
しました。牛のおしりを叩きながらのんびりと道路を渡る人たち、サロンを腰に巻き頭に荷物を乗せ歩いている
おばあちゃんたち、お坊さんが裸足で田舎道を歩いている姿、沢山の野良犬、夕暮れ時になると家々の庭から
立ち上る煮炊きの炭火の煙、、、、
しかしここも変わりました。チェンマイ市内からの道は片側二車線の道路に拡張され、道端の大きな木々が
なぎ倒されつつあります。朝晩のラッシュを解消するためなのでしょうが、胸が痛みます。
移動手段はバイクから車に、車の増えた道路を横切る牛もいなくなり、サロン姿のお年寄りの姿も目にする事もなく、
炭火はプロパンガスに取って代わり、お坊さんはスマートフォン片手に歩き、、、、あの頃の風景が一つまた一つと
消えてゆきます。
年末恒例のバーンロムサイクリスマス会の晩、寒くて重ね着をし、靴下を履き、マフラーを首に巻いて
毎年臨んだのですが、昨年はこの17年で一番暖かいクリスマス会でした。気候も変わりつつあります。
そして参加してくれた人の数もこの17年で最大、村の子どもたち、スタッフの家族、他の団体の青少年たち
総勢300人ほどが来てくださいました。握ったおにぎりの数は400個、たこ焼きチームが休みなく焼いたたこ焼き
約1000個!!参加した子どもたち全員に渡る数だけのプレゼントをチェンマイ市内のクリニックから今年もまた
ご寄付を頂きました。
子どもたちと頂いたプレゼントの山
初回1999年のクリスマス会はバーンロムサイの子どもが12人、スタッフ10名、外部からの参加者6人、
もちろん村の子も来ず、、、鶏のから揚げで祝った静かなクリスマス会でした。
あれから17年、、、
初回クリスマス会では哺乳瓶を抱えていたタンもりっぱな体育大学の学生、泣き虫ヌンもバーンロムサイを出て
外で2年程働いていましたが、昨年秋からバーンロムサイに戻り、大工見習いとして昼夜二食の賄い付きで働き出し、
体重も8キロ程増えました。そして今日1月1日から暫く保父として働くこととなりました。小さい子の面倒見の良い
優しいヌン、もしかして彼に向いている仕事なのかもしれません。
チェンマイの人気レストランで働いているゴイもオンもテンモーも仕事を休んで来てくれました。
毎年クリスマス会で踊ってくれているアームもあと2年で大学を卒業。大型スーパーで働いているピーダオ、
来年からターク県の大学入学が決まったポンもチェンライからバスで駆けつけ、昨年「僕はバーンロムサイから
出て暮らしたい」と言って出て行ったボーイも来てくれました。
ご支援くださった皆さまに彼らの元気な姿をお見せしたいです!
バーンロムサイを卒園した子どもたちは背伸びをせず身の丈にあった暮らしをし、明るくまっすぐに生きています。
自分の名前も誕生日すら知らず、肉親の所在もわからず、親に死に別れ親戚の家をたらい回しにされ、エイズであると
知られ村八分にあい、、、そんな彼らがバーンロムサイにたどり着き、ここで暮らすことが出来たことを幸せだったと
懐かしく感じ、時々訪ねて来てくれることは、私達にとってそれは嬉しく大きな励みにもなります。
ここまでくることが出来たのは支援者の方たちのお力に加え、日本のNPOバーンロムサイジャパンのスタッフ、
現地で一緒に働いてくれたスタッフ、ボランティアの助けがあったからこそ活動を継続することが出来たのです。
この場をかりてバーンロムサイを支えてきてくれた、そして今現在一緒に働いてくれているみんなに
心から「ありがとう!!」。
クリスマス会でバーンロムサイ
hoshihana villageのスタッフ全員が揃いました
名取美和 | 2016/01/01(金)
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