ボン、しあわせに!
2011年4月、ボン、ゲン、ガイ、サーサー、テンモーの5名がヴィエンピン国立孤児院からバーンロムサイへやって来ました(ガイはその年の12月に母親に引き取られました)。
その頃から現在も国立孤児院にはHIVに母子感染した孤児は入園して来ていません。2002年からバーンロムサイの子どもたちも始めた抗HIV療法のおかげで、お母さんがPOSITIVEであっても薬を服用することで亡くならず普通に生活できるため、子どもは孤児とならず、もし仮に子どもが母子感染していたとしてもバーンロムサイの子どもたちと同じようにお薬を飲めば親と普通の生活を送ることが出来ます。そのような理由でこの時からバーンロムサイに新しく入って来る子どもたちは殆どHIV/AIDSとは関係なく、様々な理由で孤児になったり親が養育出来なくなった子どもたちが入って来るようになったのです。ボンたちはその第一組でした。
2011年、バーンロムサイに来た時のボン
さっそく兄たちが世話を
ラフ族のボン。彼は感受性が強く、繊細で、時々ヒステリックに泣き、食の細い男の子でした。入園したての頃は、皆慣れない場所に知らない人ばかりで言葉にならない不安で一杯なのでしょう。それから徐々にでも割と早く兄や姉たちと、また一緒に入って来た子どもたちと仲良くなり、保母たちになつき、自分たちの暮らす家として安心し、精神的にも落ち着いて来るのです。ボンももちろんだんだん笑顔が増え、食欲も少しずつ出て来ましたが、相変わらず気が付くと良く泣いていました。
大好きな馬
オームシンにいじめられ泣くボン。でも降りない
言葉を覚えるのも早く、ボンは賢い!とすぐに皆から言われていて、私たち日本人の話す日本語も正確に発音するようになってきました。「おはようございます」「こんにちは」「おやすみなさい」「ありがとうございました」など挨拶の時間の使い分けも覚え、きっと耳が良いのでしょう、はっきりした発音です。さらに笑うと目が三日月になる笑顔、色白で端正な顔立ち、期待の星でもありました。国籍問わず訪問者の方々にも可愛がられ、ボンのファンはたくさんいます。
ズボンの中にシャツを入れる得意のスタイル
ロムサイFCの一員でもありました
ボンには服役中の母親が居て、年に1度か2度は面会の機会があり、「今日はお母さんに会いにゆくんだ」とおめかしして出かけてゆくことがあったので、彼がバーンロムサイに居るのはお母さんが刑期を終えて出てくる時までというのは最初から分かっていました。そしてその日は思ったよりも早く来ました。お母さんは刑期を終えて外で3か月間暮らした様子から、子どもを引き取ることが出来ると判断されたのです。ただ彼女は少数民族でIDカードがないため、母親がIDカードを持ち生活が安定するまで、まずは離婚している父親の親戚のもとに暮らすことになりました。
10月8日、出発の前日。
ボンのお誕生日は10月30日。昨年末くらいから自分の誕生日の月日を覚えることが出来るようになり、「あと○ヶ月で10月30日の僕の誕生日が来るね!」と顔を合わせるたびに頻繁に確認をとって、楽しみにしていたのです。でもその誕生日を待たずに引き取られることになり、ポツンと「ぼく、お誕生日の時にはここにもう居ないんだ・・」と言ったので急遽特別にアイスクリームケーキを買い、1年違いで同じ10月に生まれたオームシンとエークの姉弟の誕生祝いも兼ね、少し早い、でもバーンロムサイでの最後のハーピバースデーをやりました。
彼は10月30日で6歳です。
大好きなアイスクリームケーキ
オームシン、エークも一緒にお祝い
ちょっと早いけどお誕生日おめでとう、ボン
10月9日出発の日。
スタッフのベンとノイがヴィエンピン国立孤児院まで送り、そこでお父さんとその親戚に会い、引き渡すことになりました。お母さんはボンが生後4か月の時に刑務所に入ったので、そしてその時にはすでに父親とは別れていたので、ボンは父親とは初対面です。会っていたとしても4カ月では覚えていないですが・・。最初は泣いたそうですが、最後は笑顔でお父さんの膝の上にちょこんと座って一緒に写真におさまっていました。目元がそっくりで確実にボンのお父さん!と分かります。そしてお父さんはすでに新しい家族がおり養育が困難なため、近くに住むお父さんの親戚の家にまずは引き取られることになりました。チェンマイから車で3時間くらいの場所に住むその家族は養豚場を営み、経済的にもボンを養育でき、彼の学校の準備もしてくれています。その家に着いた時の写真も送られて来ましたが、すでに親戚の子どもたちと遊ぶ笑顔のボンの写真をみて、少し安心しました。
そしてお母さんがボンのためにもう2度と同じ過ちを犯さないようしっかり自立した時点で、一緒に幸せに暮らして欲しいと思います。
何かあればいつでも帰って来てね!と住所や電話番号も渡し、ホームの姉や兄たちが自分たちのお小遣いから寄付したお金、スタッフからもお小遣いや色々なプレゼントをもらい、生活必需品をバッグにつめて、ボンは出発しました。
ボンの出発を一緒に待つ保母や子どもたち
メーミワと
彼が走り出した車の中から最後に言ったのは、はっきりした日本語で
「ありがとうございました」。
ボン、たくさん食べてたくさん勉強してたくさん遊んでたくさん友だちつくって、
元気で、そして幸せになってね!!!
『banromsai exhibition@boy Rikyu in BKK』
2012年、バンコクのboy Rikyuの日本人、タイ人スタッフの皆さんがホームに来てくださり、子どもたちとファッションショーを一緒にやりました。それ以前からもそれ以降も日本でもタイでもバーンロムサイの子どもたちをずっとサポートしてくださっています。一流のスタイリストの方々にヘアメイクをしてもらった子どもたちはこの時のこと、しっかりと覚えています!
一流のヘアスタイリストのヘアメイクに緊張気味
ダーウ、とても綺麗でした
今年、バンコクのお店がスクンビットsoi24に新しく移転し、素敵な一軒家となり、さらに2階にはギャラリーが。そこでバーンロムサイ展をやりましょうと声をかけてくださり、今回開催させて頂くことになったのです。
スクンビット soi24のお店外観
万全な準備と完璧な会場作り!初日の10日に会場に入り、感動でした!
ヘアサロンはタイ人、欧米人、日本人のお客様でいつも満杯。そして初日から多くの方が来てくださり、とても好調な滑り出しとなりました。boy Rikyuのスタッフたちの全面協力のもと、この展覧会は25日まで続きます。
吹き抜け部分の壁にはプローイの描いた版画
バーンロムサイの様子が分かる映像と写真
子どもたちの描いた絵
とても気持ちの良い空間です!
サロンのちょっとした場所にも子どもたちの絵が
ボンの写真もあります
ちぢみガーゼブランケット、人気です
いつもオシャレなboy RikyuのスタイリストYOJIさん。ガーゼ2枚仕立てのドルマンプルオーバーの白をとても素敵に着こなしてくださっています。
着心地抜群、ドルマンプルオーバー
麻生 賀津子 | 2015/10/10(土)
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