代表:名取美和より
バーンロムサイが開園した1999年当時、HIV/AIDSは不治の病と捉えられていたということもありますが、それ以上にHIVに感染した彼らを苦しめたのは社会からの差別と偏見でした。感染経路に関しての正しい知識を持った者も少なく、触ると感染する、近よるだけでも感染するとの誤った情報が社会に流れ、HIVに感染した人たちに対して差別と偏見が広がり、HIV/AIDSという病と闘うだけでも大変なのに、社会からはじき出された彼らは疲れ、 1980年代後半頃には社会や家族からも隔絶した生活を送っていました。
そのような状況下、彼らの多くは職を失い、家族からも疎まれ孤立し、病状は悪化し多くの人が誰に看取られることもなく亡くなっていきました。特に夫から感染し、自分の子どもにも母子感染させてしまい、自分の死と共に孤児となる子どものことを考えると死ぬにも死にきれないという辛い思いの母親が多くいました。
「大丈夫、私たちがあなたたちの代わりに育ててあげるから」との思いで1999年に始めたバーンロムサイでしたが、免疫力の落ちた小さな子どもたちは、一旦発症してしまうとあっという間に症状が悪化、開園から3年間で10人の子どもたちが次々にエイズによる日和見感染で亡くなっていきました。悔しい思いの中、薬の供給が安定し始めた2002年に抗HIV療法を始めました。一生飲み続けなくてはならないこの療法を始めるには相当な勇気が必要でした。もしも薬をやめざるを得ない状況になったら、子どもたちにエイズを発症させることになるし、成人の為に開発されたこれらのお薬が、まだ小さな子どもたちの体にどのような副作用を将来にわたり及ぼすのかよくわかっておらず、多くの不安はありましたが、10人目の子どもを亡くした時、これ以上子どもたちを死なせたくないとの思いで始めた抗HIV療法でした。
それ以降一人として子どもを失うことなく現在に至っています。まだ不安が払拭されたわけではありませんが、開園当時の「子どもの命を守る」というところから、次の「子どもたちを育て上げる」というステップに移行したことは私どもにとって嬉しいことではあります。タイの孤児院の規則では18歳で卒園しなくてはならないのですが、年齢に関係なく彼らが実際に手に職を持ち社会に出られるまで生活し、教育を受けられるように支援を続けます。
バーンロムサイで生活する30人の子どもたち、、、将来の夢に向かい努力している子もいますが、今自分を見失い自信を無くしている子、先天的なものなのかHIV ウイルスのせいなのか、または薬の副作用なのか、軽度の知的障害を持ち将来社会に適応し生活できるのかと不安に思える子どももいます。その一人一人に寄り添い、彼ら全員が何らかの職を身につけタイの社会に巣立つその日まで、まだまだ時間がかかります。
中途半端な状態で彼らを社会に送り出したくはありません。孤児であるということ、そしてHIVに感染しているという二つの重荷を背負った彼らを、タイの社会が優しく受け入れてくれることを心より願っておりますが、それ以上に大切なのは彼らがそのような悪条件にも負けず、自らに自信を持ち、しっかりと地に足を付け丁寧に気持ちよく生きていってくれること、これが私どもバーンロムサイの願いです。
どうかそれまで、ぜひ私どもと共に彼らを見守り続けていただきたく、今一度ここでお願い申し上げます。まだまだ皆様方の応援が彼らには必要です。
また2011年より、新たに入園してきました子どもたちの親は近隣諸国からの避難民であったり、生活苦で育てられなかったり、麻薬問題で収監されている等の理由から、縁あってバーンロムサイにやって来ました。麻薬と貧困、この問題がなければ親が自分の手で育てたでしょう。タイ社会にはまだまだ多くの問題が山積しています。麻薬と貧困問題には特効薬もなく、世界全体で解決しなくてはならない大きな問題です。バーンロムサイがこの問題とどう向き合っていけば良いのか、これから考えてゆかねばなりませんが、このような子どもたちを支えていくこともバーンロムサイの役割となってきています。
ぜひとも皆様のご支援をお願いいたします。
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