これからのバーンロムサイ
国内に7万5千人のHIVに母子感染した孤児がいると言われていた1999年、HIV母子感染孤児の為の生活施設「バーンロムサイ」は開園しました。先進国でも1980年代初めから爆発的に感染者の数が増え、80年代中頃からは日本国内でも「エイズ」と言う文字を目にすることが多くなりました。しかし HIV/AIDSに関して正しい知識を持った人の数はどこの国でもまだ少なく、間違った知識の下HIV感染者はタイ国内でも不当な差別にあっていました。
当時、不幸にもHIVに母子感染してしまった子どもたちの多くは、地方の貧しい家庭に生まれたこどもたちでした。
基幹産業のない村から父親が家族を村に残し、建築現場などの日雇い仕事の為一人で町に出る、性産業に従事している女性からHIVを感染、HIV/AIDSの知識も感染の事実も知らず村に戻り妻に感染させてしまう、その後妻が妊娠、出産、結果子どもを母子感染させてしまった。衛生そして栄養状態 の悪い環境の中で父親は間もなくエイズを発症死亡、感染している事実を村民に知られ、また寡婦となり収入の途絶えた母親は、幼児を連れて村を離れ町に出る。レストランやマッサージ店などで働くがいつしか収入の良い性産業に流れ、そこでさらに感染を拡大させ本人もエイズを発症、亡くなると言うケースが多くありました。結果孤児となり残された子どもたちは最終的には施設に収容され、身体検査の結果HIV陽性と診断される。その頃地方の施設ではHIVに感染した子どもへの対応が難しく、バンコクとチェンマイの国立孤児院に集められ、そこからタイ国内のNPOに転園させられていました。
そのような状況の下、子どもたちはバーンロムサイへ入園してきました。
入園してきた子どもたちは、病院で産み捨てられたり、置き去りにされたり、親戚が経済的な理由等で面倒を見られない子ども達でした。バーンロムサイに入園してきた時すでにエイズを発症していた子もいました。
あれから12年の時が経ちました。開園からの3年間に10人の子どもがエイズを発症亡くなってしまいましたが、2002年から始めた抗HIV療法のお蔭で、その後誰一人エイズを発症することなく全員無事に育ちました。そして昨年秋から18歳を過ぎた子ども達6人が一月5000バーツの生活費をバーンロムサイから支援してもらい、市内で一人暮らしを始めました。十分暮らしてゆけますが、贅沢は出来ない金額です。何か欲しいものがあれば自分でアルバイトを見つけ、働き稼がなくてはなりません。すでにヌンは夏休み中、郊外のトマト農園で住み込みで働いています。2か月フルに働けば中古のバイクが買えると頑張っています。ミルク もレストランでアルバイト中、ナットはチェンマイ大学に無事入学、支援者の方たちから頂いた入学祝と自分の貯金を足しバイクをすでに購入、次はアルバイトをしてパソコンが買いたいと。アームもピーダーウもしっかりと目的に向かい勉強中です。
まだホームに居るゴイとメーレックは高校の家政科に合格、そして留年していた18歳のスも専門高校に入り、5月からバーンロムサイを離れ昨年秋巣立った6人の先輩たちと同じく市内で一人暮らしを始める予定です。
6人がバーンロムサイを離れた後、また新たに援助を必要としているHIV母子感染孤児を預かりたいと国立孤児院にお願いしたところ「今、そのような子どもは居ません」との返事でした。抗HIV療法のお蔭で、HIVに感染していても子どもに感染させずに出産が出来るようになった事、また母子ともに感染し ていても薬を飲んでいれば元気で暮らせるようにまでなったと言う事です! 薬を飲んでさえいればエイズを発症しない、イコールHIVが慢性疾患の一つとなったと言う事なのでしょう。開園当時の事を思うと、この13年間でここまで来たと言う事は本当に素晴らしい事です。
そして昨秋入園してきた4名、そして今月新たに入園してきた2名の子どもたちはHIVには感染していません。サーサーとテンモーの姉妹の母親は貧しく、養育が困難ということで子どもをチェンマイの国立孤児院に預け、二人はそこからバーンロムサイにやって来ました。そして他の4人の2歳から5歳の男の子の4人の母親のうち2人の母親は麻薬問題で服役中、1人の子は母親が麻薬厚生施設を出所後行方不明。
HIVの問題は1980年代初頭に始まりこの25年で「死病」と言われていたものが「慢性疾患」と捉えられるようにまでなり「差別や偏見」も減少してきました。しかし13歳から18歳の年齢層で感染者が増加している事、また薬を飲めば大丈夫と言う意識からか感染に対する危機感が薄れているのもタイの現実です。
そして今拡大している問題が「麻薬」。これはタイのみならず多くの国々が抱えている問題です。この問題はHIVのように薬の開発でどうにかなるものでもなく、「ドラッグ産業」が巨大ビジネスとなってしまった現在、この撲滅はほぼ不可能と思えてしまいます。貧しい人たちにとって麻薬は少しでも現実から逃避するための唯一の手段、先進国の人たちにとってはストレスの解消。人々がその生活を幸せと感じ逃避する必要やストレスを解消する必要のない状況にならない限り、「ドラッグ」の需要は継続するのでしょう。そして供給側にとってはこれだけのビッグビジネス。終わりなき戦いと思われてしまいます。
母親が麻薬問題で服役中、いつか刑期を終え出てくるのでしょう。その時彼女らが二度と麻薬に手を出さないか? 子どもたちを引き取り生活できるのか? 実の母親と一緒に暮らすに越したことはないと思いますが、もしかしてバーンロムサイに居たほうが幸せではないのか、、、、、今回新たに預かった子どもたちが抱えている問題は、大きな社会問題、バーンロムサイがこのような状況に置かれた子どもたちに何が出来るのか、、、
現在、HIV母子感染孤児施設「バーンロムサイ」は市内で暮らす6人、今年ホームを出る予定の2人、里親の下で暮らしている1人、ホームで暮らしている19人、計28人の母子感染孤児たちが本当の意味で自立できるその日まで彼らを物心両面で支えてゆくことに変わりはありません。そして新たに加わった6人の麻薬問題を抱えた親を持った子どもたちとどうかかわってゆくことがベストなのか、新たな問題が加わりました。
皆さまからのご支援ご協力のお蔭で、バーンロムサイの子どもたち以外にも、「財団法人バーンロムサイ」はこれからも貧困家庭の子どもたちへの奨学金支援や、村の子どもたちの支援ともなる公共プロジェクト等も継続して活動してゆく所存でございます。どうかこれからもこの子たちの将来を見守り続けていただきたくお願い申し上げます。
新しく来た子どもたち。テンモーはお昼寝中なので、、、
5名しか映っていません。あしからず、、
名取 美和 | 2012/04/01(日)
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