1963年 夏
1963年の夏休み、2か月ほど車でトルコを旅しました。私のドイツでの親代わりであった父の友人夫妻(夫75歳、妻50歳)そして70歳の彼の弟の金髪碧眼のドイツ人3人、そして17歳の私と言う奇妙な4人組。車でミュンヘンを出発、オーストリアから南チロルを抜けイタリーに入り、トリエステの港からイタリーの客船に乗船、イタリーを南下BARIに寄港、ギリシャのコリントス運河を通り、アテネのピレウス港で一泊、4泊ほどのエーゲ海の船旅後目的地イスタンブールで車と共に下船後、2か月ほど時計と逆方向でトルコをグルリと周りました。いまから49年前の出来事、旅のメモも写真もすでに手元になく、あるのは脳細胞の奥にしまわれたかすかな記憶のみです。
1960年頃坂本九が歌った「悲しき60歳、ムスタファ」遠い昔のトルコの国の~♪悲しい恋の物語~♪~~、、、この歌の中に出てくるトルコと言う国名、そして料理の名前として「シシカバブ」は聞いたことがありましたが「トルコ」に関する知識はゼロ。そもそも地理的にトルコがアナトリア半島に位置し、ヨーロッパとアジアの境にあり「小アジア」と呼ばれている事も、その歴史も、政治も何も知らずに旅は始まりました。
今、断片的に思い出すのはイスタンブールの「アヤソフィア寺院」の青い色とお香で煙った寺院の中、そこに記されたアラビア文字が美しかったこと、ボスポロス湾のガラダ橋の袂の魚市場で魚を積み上げてあった盥の赤い色、町はずれのホテルのプールが半分すでに海に崩壊していたこと、初めて食べたシシカバブは本当に美味しかった、しかし何を食べても匂うのはあの羊臭さ、それが鼻に付き旅の中ごろにはイワシやツナの缶詰を買い込んでそれを食べていたこと、同行者が旅のはじめに買った山羊の毛の敷物の匂いが車に充満、一生山羊と羊は食べたくない、嗅ぎたくないとその後長い間拒否反応がありました。当時まだパリのカフェなどでもお目にかかった事もありましたがトイレはすべて「トルコ式」(床に穴がひとつ、足を置く踏み台が二つ、水がトイレ中に流れるので、ドアから半分体を出してから紐を引き水を流す)。回教寺院の塔の上から時間になると聞こえてきた哀愁ある響きのコーランの読経、夜の盛り場から聞こえてきた今まで耳にした事のない音曲、本場トルコの風呂「ハマム」、誰もいない考古学の採掘現場で見つけた陶器のかけら、当時まだ観光化されていなかった隠れキリシタンの村「カッパドキア」には人々が遺跡の中に住んでいました。南のアンタキアは今ではトルコのリビエラとまで言われているようですが、当時は鄙びた漁村でした。田舎のホテルで南京虫に刺され猛烈かゆかったこと、ベットの寝具にまでも羊の匂いが染みついていたこと。地方では女性も男性もほぼ全員トルコ風ズボン(今バーンロムサイで作っているリス族パンツのようなズボン)を穿いていました。レストランにはメニューがなくキッチンに置いてある料理を指さしでオーダー、半端でない蠅の量には驚き、トルコ人の家に招かれ出てきた丸湯での羊の頭に腰を抜かし、スプーンですくった脳みそを進められたときはほぼ失神。砂漠に近い荒涼とした景色の中ラクダに乗り、蜃気楼を見、遊牧民のテントの中をのぞき、彼らが飼っていた羊に脂肪の座布団のような尻尾がついていたこと、街の至る所で飲める甘いお茶とトルココーヒー、それを上手に配達する少年たち、早朝からリング状のゴマ付きパンを売り歩く人たち、(これが美味しかった!)。「ラキ」と言うお酒、透明なお酒なのですが水で割ると濁りほのかに甘いアニスの香りがしました、初めて酔っ払い気持ちが悪くなったのもトルコ、大昔のキャラバン隊の宿舎キャラバンサライや半分ほどすでに土に埋まった城門やローマ時代の遺跡、車を走らせ喉が渇いたなと思う頃必ず現れたチェシュメ(水飲み場)。「あなたが2人目の日本人です」と言われた小さな町の博物館、ロシアを負かした日本は本当にすごい!「日本人はトルコ人の友です」と小娘の私にさえ握手を求めてきた人たち。国父アタテュルクに対する愛と尊敬の念、ロシアに対する憎悪、アレキサンダー大王の遠征の名残りか時々生まれてくる青い目と金髪のトルコ人、アンカラの美術館で観たヒッタイト時代の素晴らしい金細工、キリスト教のコンスタンチノープルからイスラムのイスタンブールへ、歴史の流れ、、、、、、中身の濃い2か月でした。
そして歴史や政治の説明をしてくれた3人のドイツ人年寄り三人とよく喧嘩をしました、、、、もちろんこの三人の年上の友人たちはもうこの世にいません、、、あの時は、、ごめんなさい、もっと真摯にあなたたちの話を聞いていればよかった、、、彼はバウハウス時代に活躍したグラフィックとテキスタイルのデザイナーそして妻は画家、彼の弟は橋梁設計家でした。きっと面白い話だったのでしょう。
旅をするには若すぎる年齢であったのが本当に残念です、もし10年後に同じ旅をしていたら、いろいろな経験や知識も17歳の時よりは積んでおり、興味の持ち方も全く違うものとなり、興味深く面白い旅となったでしょう。
また今の年齢で同じ旅をしても全く違うものとなるのでしょうし、トルコと言う国自体がこの49年間で大変貌しておりあの時のトルコはすでになく、、もう一度行きたいとは思いませんが、あの旅をもっと鮮明にディテールまでも思い出したいです!!
人生でのいろいろな行動には「適齢期」と言うものがあるように思えます。
もちろんトルコを体験した事がマイナスどころかプラスになっているのは事実ですし楽しかったのですが、17歳でのトルコ旅行は「旅人としての適齢期」に達しておらず、ただ単純に「行きました、見ました」で終わってしまい本当にもったいなかったと思います。
でもあの旅で「世界は広い、こんなにも違うものの考え方、生き方もあるのだ」と言う事を体験できただけでもよかったと思います。
タイの国花・ゴールデンシャワー。トルコで花を見た記憶がないのです、なぜならあの頃、まったく花や植物に興味がなかったからでしょう。残念、、、、
名取 美和 | 2012/05/01(火)
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