レックさん、長い間 お疲れさまでした。
保母のレックさんが、6月30日をもってバーンロムサイを退職しました。
勤続20年丁度です。
バーンロムサイが開設してから1年ちょっと、それからずっと支えて来てくれたのですね。
最初の頃は、エイズを発症し具合が悪い子ども、そして亡くなってゆく子どもたちもいて、その後、抗HIV薬の服用を開始しても、薬の管理や耐性ができるとか、初めてで分からないことも多々ある中、体調を崩す子どもの入院の付き添いなどなど、保母やスタッフたちにとって、とても大変な時期でもありました。
レックさんが居ないのはとても寂しいし、彼女が保母さんの中に居ないということが、まだ実感出来ないのですが、体調が悪い時でも無理してずっと頑張って働いて来てくれたので、これからはゆっくり休んで欲しいと思います。
2002年。後ろ右端がレックさん。
2001年。
最後の学校へのお迎え。
丁寧だけど素早い。
シャワーの後はすぐに食事の準備。
レックさんは、好奇心旺盛で多才です。
とにかく手先が器用だから、料理、裁縫は大得意。
かつて、日本人ボランティアや、日本人スタッフなどが子どもたちに日本の家庭料理を作ると、お休みでも駆けつけて、熱心に作り方を覚えていました。
もともと器用だし、レックさんの作るご飯は味付けが優しいので、日本人にも大人気。
さらに日本が大好きな彼女は、日本語も勉強し、簡単な会話のやり取りや、平仮名・片仮名をある程度読むことができるのです。
好きなことへの努力はとことん惜しまないパワーを持っている人。
そして綺麗なものが大好き!
2006年、バーンロムサイの子どもたちを福岡へ招待していただいた時、付き添いとして同行した彼女は、抑え気味にしつつも、大好きな日本に居ることにずっと興奮していました。
楽しくて楽しくて仕方ないというレックさんと一緒にいると、私たちも楽しさ倍増。
初めて見るホテルのウォシュレットを激写していた姿はとてもかわいかった、、、。
福岡の学校との交流会で踊りを披露した
子どもたち。
タイ人スタッフも正装で。
とっても甘い福岡のイチゴに大感激。
またレックさんといえば、ホームでのイベントに欠かせない人物。
子どもたちが踊ったり歌ったりする時は、数ヶ月前から衣装の準備(残布や使わなくなったものをうまく利用)にとりかかり、子どもたちへ踊りの特訓、そして当日ヘアメイクと着付け。
他のスタッフも手伝うとはいえ、ほぼ一人で何役もこなします。
ヘアメイクと衣装はもちろんレックさんです。
右端はひょっとしてアーパイ姉さん。
レックさん自身もタイ舞踏をやっていたこともあり、古典舞踏から若者に人気のアイドル系ダンス、さらにインド舞踏も取り入れたりして、なかなかすごいのです。
お化粧も、ちょっと(かなり)派手めではありますが、滅多にできない変身に子どもたちはいつもテンションがあがります。。
拍手喝采で終わる子どもたちのパフォーマンスは、村のイベントや国立孤児院の催し物にも招待されたりと、見た目も内容もクオリティ高し。
レックさんと子どもたちの努力の賜物です。
モーモー元気に暮らしているかな?!
後ろはメー。
向かって左から卒園生の
ガノック、スーワイ、ミウ。
彼女が退職する日が近くなるにつれて、卒園生や子どもたち、そして保母仲間が一緒に写真を撮りたいと、人気者のレックさん、大忙しでした。
外で働く卒園生にとっても、レックさんは大切な存在。
何かあれば真っ先に彼女に相談します。
彼らの何人かが、薬を飲まず具合が悪くなった時も、レックさんは親身に対応してくれました。
卒園生、タムとヌン。
小さい頃から寝食を共にし、タイの生活に密着した慣習や作法を教わり、一緒に遊んだり、時には怒られたり。
親のいない、あるいは親と暮らすことが出来ないバーンロムサイの子どもたちにとって、
レックさんは彼らの「メーレック=レックお母さん」なのです。
お寺への宗教行事へ子どもたちを連れて行って
くれるのは、いつもレックさん。
後輩の保父母も今まで以上に頑張ってくれると思うので、安心して体を休め、でも子どもたちも私たちも皆会いたいから、時々ホームに遊びに来てくださいね、レックさん。
最後の日、子どもたち全員にプレゼント。
細かい心くばりは昔から変わりません。
20年間、本当に本当に、お疲れさまでした。
そして、ありがとうございました。
| 2021/07/02(金)
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