イム、タイタン、ピーマイ の新しい生活
2016年にヴィエンピン国立孤児院からバーンロムサイへ来たイムとタイタンの姉弟。少し遅れて2017年に末っ子のピーマイ が入園。
事情があって養育できなかった父母ですが、バーンロムサイに来てから一度
お母さんには国立孤児院で会いました。
でも小さかった3人、特にピーマイ は全く記憶にありません。
お母さんは子どもたちへの愛情はあったのですが、その時はまだ、養育できるだけの経済力などの環境が整っていなかったので、もうしばらくバーンロムサイで預かることとなり、その後父母ともに音信が途絶えていたそうです。
とても小さくて可愛い、来たばかりのピーマイ
面倒見の良いイム姉さんを慕う二人
礼儀正しく、誰にでも優しいイム。
ナムプレーの学校ではたくさん友だちがいました。
幼稚園に通い始めて、積極的になったピーマイ 。
良く食べ、良く遊び、良くいたずらをする、
ワンパクの鏡のようなタイタン
今年になって国立孤児院が再び母親と連絡を取るようになり、タイの東北部ウボンラーチャターニー県で新しい夫とともに暮らしている母が、3人を引き取るだけの条件を満たしていると国立孤児院の職員が詳しく調べ、少しずつ準備が進められていたのでした。
本当のお父さんに関しては、養育は不可となった後音信不通のままだそうです。
4月25日 、国立孤児院のスタッフが車で迎えに来る日。
この日も猛暑でした。
すでに3人分の荷物はできていて、前日には食べたかったコックのルンさんのパパイヤサラダも食べて、お餞別のお菓子も抱えて準備万端。
でも姉のイムは色々事情が分かっているだけに表情が硬く緊張気味です。
3人の様子をじっと見守る女の子たち。
2人もいなくなってしまい寂しい、、、。
荷物と一緒に出発を待つ。
みんなどういう気持ちなのだろうか、、といつも思う。
タイタンがいなくなった後の、いたずらっ子ナンバーワンは誰の手に。
写真の顔もなかなか硬い。
ヴィエンピンのお迎えの車が来て、スタッフが書類のチェックをし、3人へ今後の予定を簡単に説明すると、ますます緊張した顔つきに。
いたずらっ子のトゥンタオと別れを惜しむタイタン。
何か通じるものがあるのかと。
お迎えに来たヴィエンピンの職員から今後の説明を。
ますます神妙な顔つきになる3人。
子どもたち全員で荷物を運び入れ、車に乗り込んだ3人となんだかあっけないお別れ。
でも姉弟妹の3人が一緒に実の母親と暮らすことが出来るのですから、今回もまた嬉しいお別れなのです。
ちょっとというか、かなり寂しいけれど。
その後、国立孤児院へ1泊してから、イムたちの他に親や親戚と暮らすことになった3組の子どもたちとともに、車で出発。
すでに国立孤児院ではしゃぎすぎたタイタンは転んで額を机の角にぶつけ、出血。
ヴィエンピン国立孤児院の前で。
頭から出血、手当てしてもらい痛々しいタイタン。
26日朝に国立孤児院を出発して、まずは北部タイのプレー県、ウタラディット県、そしてペッチャブーン県とまわってペッチャブーンのホテルで一泊。
なかなか一度に訪れることの出来ないところばかりなので、かなり旅行気分になりますね。
すっかりエンジョイ。
頭をぶつけたタイタンは大人しく寝ています。
ペッチャブーンでの夕食。
宿泊先のホテルでリラックス。
一泊後、一気に東北地方のウボンラーチャターニー県へ向かいました。
長旅です。
そして車から降りるとお母さんと新しいお父さんが待っていて、お母さんは3人を抱きしめ号泣したそうです。
母と再会。
工事を請け負う人材をまとめる仕事を任されているお父さん。
そして家の前で食事を作って売ったり、オンラインでも物を売ったりして働いているお母さん。
タイの、ごくごく普通の家の、普通の生活。
面倒見の良いイム8歳、いたずらっ子タイタン7歳、甘えん坊ピーマイ 6歳。
母と一緒に新たな生活が始まります。
幸せな日々を。
| 2022/04/30(土)
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