久しぶりに心がざわざわしました
3日ほど前、市内のスーパーの駐車場に一台の小型キャンピングカーが停まっていました。車の側面に「AUSTRIA」の文字!タイで目にした事のないキャン ピングカー、おまけにヨーロッパから!足が自然に車に向かい、乗り込もうとしていた30代の男性に「オーストリアからこの車で来たのですか?どこを走って 来たの?いつ国を出たのですか?」と聞いた所、一年前にオーストリアを出てトルコから中央アジア、トルクメニスタン、タジキスタンから中国に入り、中国を 旅しラオスを通ってタイに入って来たと答え、助手席にいた同年代の女性と旅の途中で拾ったと言う犬と共に駐車場から走り去りました。
これからどこに行くのでしょう、いつまた国に戻るのでしょう、久しぶりに胸のあたりがざわざわしました。
多くの若者が海外に出たいと思っていた1960年70年代と比べ、なんで海外に行く必要があるんですか?欲しいものは近くで手に入るし、映像でいくらでも観ることが出来るし、わざわざ外国に行くなんて面倒くさい、今の日本の若者の多くがそう思っているようです。胸の奥の方がざわめきはじめ「出たい!どこかへ行きたい」と思わないのでしょうか。
あのカップルは今頃どこを走っているのでしょう、、、、、久々に「うらやましい」気持ちになりました。
「震災以降」
震災後、日本からのご寄付の減少が続いています。それに追い打ちを掛けるように起きたタイの洪水、そして今年2012年4月1日からのタイの新しい法律の施行に伴っての最低賃金の約40%の値上げ、それに伴う物価の上昇。
開園当時の1999年、12バーツだったガソリンが40バーツ近くまでになり、ついこの間まで20バーツだったクッティオ(麺)が今では30バーツは当たり 前、牛乳は26バーツから44バーツ、土地の価格もバブル期の日本のようにうなぎ上り、、、物価の上昇は当分歯止めがきかないでしょう。すでに労働者の賃 金が払えずやむなく閉鎖せざるを得なかった工場もあると聞きました。また日本からの寄付に頼っていた多くの海外のNGOも存亡の危機に立っています。
私共への日本からのご寄付も減り続けています。プロダクツの生産、そしてゲストハウスの運営からの収入だけではまだバーンロムサイの運営費をすべてカバーすることは出来ません。日本人が国内の被災地そして被災者の方々を援助したいと言う気持ちは同国人として理解できます。しかしそのために辛い思いをしている 子どもたちが世界の片隅に居ることをどうか忘れないでください。
バーンロムサイを支援していただく方法はいろいろあります。
プロダクツの購入
http://www.banromsai-shop.com/ゲストハウスでの宿泊
http://banromsai.jp/hoshihana/サポーターになる
http://banromsai.jp/supports/子どもたちが自立できる日まで、そしてバーンロムサイが自分たちの力で稼ぎ出したお金で100%運営できる時まで、どうか今しばらくご支援ご協力をお願い申し上げます。
6月16日(土)、17日(日)の両日13時より日本橋タカシマヤ1階正面玄関 特設ステージにて、「お話会」を開催いたします。お時間がおありでしたら是非お立ち寄りください。ホームページの読者の方にお目にかかれれば幸いです。
何かの卵がバスルームで孵化しました
次の日集団で生家を離れてゆきました
名取 美和 | 2012/06/01(金)
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