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1965年12月、船旅

1960年代、若者がヨーロッパに行く際多く利用したのが、横浜から津軽海峡を抜けナホトカまで船で渡り、そこからハバロフスクまで汽車、ハバロフスク~モスクワを飛行機で飛ぶか、そのままシベリア鉄道でモスクワまで行く「シベリア経由のルート」、または神戸か横浜からフランス郵船の客船で東南アジアの港に寄港しながら、アラビア半島からスエズ運河を抜けフランス・マルセーユまでの45日ほどの船旅のどちらかでした。

私が初めて1962年ヨーロッパに渡る時利用したのはAir Franceのカラベルと言う機種のジェット機でしたが、その少し前まではまだプロペラ機だったようです。私の父がヨーロッパに渡った1920年代後半、その主流は船旅だったそうですが、船旅以外樺太経由のシベリア横断鉄道を利用し欧州に向かったようです。当時日本~欧州間には定期飛行便はなく乗り継ぎながら欧州に渡ったようです。

1965年、ドイツでの留学を終え帰国の際、私が選んだのはマルセーユからの船旅。この船旅の経緯は以前紅海を抜けアラビア半島の南西イエメンのAdenに寄港したところまで書いた記憶がありますので、今日はその続きを少々。

しかし何と言ってもこのフランス郵船(通称MMライン)の欧州~亜細亜間の定期航路が無くなってしまったのは本当に残念です。

この船旅での一番の思い出は360度の海に囲まれデッキで寝転んでみる満天の星空。特に南シナ海の夜空は「まさに地上に星が降りそそぐ」すきまなく光る星々、そして流れ星が数限りなく流れていました。あれはどこの海域だったのでしょう、海に浮かぶ4畳半はあると思える丸い巨大なクラゲ、船に飛び込んでくるトビウオ、船と並走するイルカたち、、、、1960年代、日本~欧州間は北極経由か南回り、その後モスクワ経由が飛ぶようになり飛行時間も大幅に短縮されました。でも飛行機での旅は無味乾燥、ただの移動手段になってしまいました。

イエメンのAdenの次の寄港地が西パキスタンのカラチだったと記憶しています。そしてインドのボンベイ(現ムンバイ)へ。東京とミュンヘンでの生活しか知らなかった19歳の私にはボンベイの印象が強烈過ぎて、長い事インド恐怖症でした。船を降りた途端ぐるりと老若男女の物貰いの人たちに取り囲まれ、行く先々で目にする汚物の山、病人、そして強烈な色彩と臭い、、、下船し船に戻るまで瓶入りのコカコーラしか飲みませんでした。カレーを食べた記憶もありません。今考えると何ともったいない事をしたかと思うのですが、50年前のボンベイは本当に凄かった!汚かった!
ボンベイの次の寄港地が現在のスリランカのコロンボ港、ボンベイに比べ緑も多く、清潔だったように記憶しています。コロンボからマラッカ海峡を抜け船はシンガポールへと向かいました。

不思議な事を記憶しているものですが、
出発地マルセーユから乗船してきたイギリスで医学の勉強を終えた30代の日本人夫婦のご主人が、香港に就職が決まったイギリス女性と船中で仲良くなり、シンガポールあたりからこの夫妻の仲が相当険悪な状況となり、最終寄港地の香港に寄港した際、そのイギリス女性は下船しましたが、怒った妻も下船、飛行機で日本に帰ってしまいました。ご主人は最後の横浜まで船にいましたが、、、、あれから50年近くたちあの二人はどうなったのでしょう。80歳にはなっている計算です、、、この出来事と共にお二人の顔をしっかりと覚えています、、、岡山で英語学校を開きたいと言っていた日本人男性もいました。フランスの船員さんと仲良くなったパリ帰りの若い日本人の女の子もいました。皆、、どんな人生をその後送ったのでしょうか。

シンガポールは人種的にも食べ物的にも親近感を持ち、町でまず買ったのが肉まん。そろそろ飽き飽きしていたフランス郵船三等食堂の食事から解放され嬉しかった!覚えているのはその肉まんのみ、シンガポールの町の記憶はほとんどありません。そシンガポールを出港後北に進路を向け次の寄港地バンコクへと向かいました。この時が私にとって初めてのタイ、まさかそれから何十年後かにこの国に住むことになるとは考えてもいませんでした。チークハウスと運河、いたるところにあったフローティングマーケット、たくさんのお寺と花の香り、ヨーロッパで思い描いていた「This is Asia」と言った感じでわくわくしたのを覚えています。今ではほとんどの運河は道路と化し、高層ビルがそびえ立ち、排気ガスと渋滞、せわしない人の群れ、、、大きく様変わりしてしまいました。この50年で様変わりをしなかった都会なんてありません、、、、必然である文明の進化の一端なのでしょう。
バンコクからの続きはまたいつか。
  
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昨日突然ホームのコックさんが一身上の都合で辞めてしまいました。新しく来た人に引継ぎをしてから辞めるのではなく「突然の辞職」。明日からどうするの、、、、まずは保母さんが大きな子どもたちに手伝わせて料理をするとの事。「どうにかなるわよ!」丁度夏休み中だし子どもたちにとっても良い機会、料理の勉強もしてください!!それにしても今チェンマイ人は土地の価格が上昇したのでその土地を売り仕事もしないでぶらぶらしている人が増えているとか、、、「勤勉」と言うのはチェンマイ語にはない単語かも。その分「将来の不安」もないし、「どうにかなるわよ!」で生きて行かれると言ううらやましい一面もあります。
  
  

ねこがいちばん!
  
 

名取 美和 | 2013/04/01(月)

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