卒園生のこと
2021年、初めての写真日記となります。
チェンマイは、朝晩まだ肌寒い日もありますが、着実に乾季から暑季へと移り変わって来ています。
新型コロナウィルスの影響は、一時押さえ込みに成功していたここタイにも、12月のサムットサーコン県でのクラスター発生以降第二波が起こり、まだ規制の厳しい地域や、国の非常事態宣言も解除されないまま現在に至っています。
しかし、感染拡大阻止への動きがとても早いので、ここチェンマイ県では、15日間感染者ゼロ。
北部タイは落ち着いて来ました。
マスク着用率も高く、検温や消毒もかなり徹底しています。
しかし観光業に頼るところが大きいため、経済的打撃は(どこの国もそうですが)、計り知れません。
せめて国内の移動が以前のように回復することを、まずは願うのみ。
そしてhoshihana villageへのお客様が少しずつ戻って来てくだされば、嬉しいです!
週末人気のチャムチャーマーケットも再開。
でも訪れる人の数は、まだ少ない
今年最初の写真日記ですが、悲しいお知らせからとなってしまいました。
卒園生のシントーが1月20日に亡くなりました。
脳に細菌が入り入院してから、さらに最後は肺へも。
抗HIV剤を飲んでいなかった彼は、発症してしまったかと思われます。
保母のレックさんへ入院しているシントーから連絡があったのは約1ヶ月前。
1月8日の彼の28歳の誕生日にも話しをしたそうです。
1月19日、「たくさんの管に繋がれているんだ」と電話で話した次の日に、亡くなってしまいました。
コロナ禍での他県の病院、さらに親戚以外は法律的に出来ないことが多々あったため、レックさんが色々な方に相談した結果、お葬式の代わりに、近くのお寺で弔いの儀式をすることになりました。
シントーは2008年、15歳の時にホットラインという支援団体が、閉鎖してしまうので預かってもらえないか、とスタッフに連れて来られ、入園。
母をエイズで亡くし、彼も母子感染していました。
とても15歳とは思えない華奢な体、か細いちょっと高めの声。
色々な施設を転々として来たこともあり、国立孤児院から来た他の子どもより、大人びていて、でもホームの生活に慣れてくると、妹や弟の面倒を良くみる気持ちの優しい子でした。
色々あって、中学卒業後しばらくしてからホームを出て行くことになりましたが、その後調理器具の訪問販売の仕事について、時々ホームへ営業に来ていたから、一生懸命働いてなんとか頑張っている姿に安心していました。
他県へ移り、全く音沙汰はなかったのですが、時々テンモーやスラチャイ、そして保母のレックさんとは連絡をとっていたようです。
薬さえちゃんと飲んでいれば、28歳でこの世を去ることもなかったのにと可哀想に思う一方、悔しい思いが強いです。
28歳になったばかり
入った頃の写真。
ヌンやスラチャイと同じ歳
しかし、小学生のようです。
昨日の1月28日。
お寺での儀式には、ポーナーンと呼ばれる儀式を司る方と4名の僧侶、そしてバーンロムサイのスタッフと卒園生たち、チェンマイ在住の元ボランティアスタッフなどが集まりました。
賑やかになって、シントーも喜んでいたと思います。
シントーが安らげる家をお寺に奉納。
北タイのこの地域でのやり方だそうです
家の中には
毛布、食料、靴、衣類、調理道具などが
揃っています
儀式を司るポーナーン
僧侶もマスクを
黒猫を飼っているお寺
シントーの家にも早速遊びに行っていました
儀式が終わって家を移動。
ヌン、スラチャイ、ゲンが手伝います
お寺の一角に写真とともに安置。
お隣さんもいるので寂しくないですね
これで、シントーは安心して眠りにつけます。
次に生まれ変わったら、もっと長生きして幸せな人生を送って欲しいです。
悲しい話しのあとは、嬉しい話しを。
卒園生のアームが3月にお母さんになります。
スーワイ、テンモーに続いて3人目。
でもまだ職員として働く和食屋で普通に仕事をし、順調だと嬉しそうにしていました。
華奢な体はそのまま。
たのもしい!
3ヶ月の産休後、また働くそうです。
まずは無事出産を!
同じ和食屋の違う支店で働いているのは、ガノック。
ちょうどアームに会った時にヘルプで入っていました。
昨年ラチャパット大学の日本語学科を卒業したのですが、このコロナ禍で就職できず、アルバイトをしていた和食屋でそのまま働くことになりました。
相変わらず、可愛い!
もう少し日本語が上達すれば、この状況が落ち着いた後、日系企業に就職できると良いなと思います。
そして同じく昨年チェンマイ大学美術学科を卒業したナット。
25歳で再入学したのですが、予想以上に良い成績で卒業しました。
しかしガノックと同じく、この状況下で就職できず、現在肉体労働のアルバイトをしながら、家で物を作り、週末チャムチャーマーケットで販売しています。
そんなにたくさん売れないと笑っていましたが(単価が安すぎる)、でも色々な人と知り合えるし、一人でコツコツと制作するのが性に合っているらしく、ギリギリの生活ですが楽しく暮らしているようです。
オブジェやキーホルダー、ピアスや絵などなど
再開したばかりのマーケットは人も少なく、暇。
でもこれから少しずつ元の賑わいを戻すことでしょう
この状況下で、飲食や観光業についている卒園生は、収入が激減。
でも今のところ、なんとかみんな頑張っています。
また卒園生の様子や、ホームの子どもたちのことなど、皆様にお伝えできればと思っています。
| 2021/01/29(金)
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